雪中行軍の道 八甲田 
    明治35年、弘前の歩兵第31連隊、青森の歩兵第5連隊が冬期八甲田山の縦断を試みた。しかし記録的な-悪天候に見舞われて歩兵第5連隊は199名の死者を出す大惨事となった。
新田次郎の小説-「八甲田山死の彷徨」の中に、八甲田山の登山口、田茂木野村が出てきます。しかし田茂木野村は幸畑の-陸軍墓地と-小峠、大峠を結ぶ田代街道から大きく外れているのです。幸畑の墓地から八甲田山に向かって田代街道を登って行くと、しばらくすると三叉路があります。この三叉路を直角に右に曲がって田茂木野村に至るのです。そして、その道を引き返して小峠、大峠に行くことになります。なんだか不自然。
幸畑の墓地と田茂木野村を結ぶ直角三角形の斜辺となる道、そして田茂木野村から引き返すことなく、小峠、大峠にいたる道が、ないかと思い一日、田茂木野村の周辺をウロウロして見ましたが分かりませんでした。
その後大正元年測図の陸地測量部の地図が手に入り,田茂木野方面を見ますと幸畑から登ってきた道は直角に曲がって田茂木野村に至っています。現在と一緒です。
直角の三叉路は第5連隊が通った道だったのです。そして田茂木野村にある遺体安置所跡の前に現在、八甲田山の方向に登って行く細い道がありますが、その道こそが小峠に通じていたのです。
この細い道こそは、拡幅もされず、アスファルトを打たれる事もなく、かつて青森第5連隊が歩いた当時の姿を残した道ではないでしょうか。
     
       
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